基礎体温

思索の試作。嗜好の思考。

3度目の正直で、親指シフトに挑戦

ポメラDM200を衝動買いしてしまったので、せっかくだからとまた親指シフトの練習を始めた。そもそも親指シフトとはなにかというのは他のサイトに譲るとして、私がどのように練習を進めているかを記録していきたい。

 

実は過去に二度挑戦しては挫折している。なので今回挑戦することに躊躇したが、せっかくポメラを買い換えたので多少元を取るような行動をしたくなったのである。

 

過去に二度失敗したときは、いきなり文章を打ち始めて結局キーを覚えられなかったので、今回はあいうえお、かきくけこ、さしすせそ、といったように五十音順に練習していった。これが功を奏した。あいうえおをひたすらくり返し、これに慣れたらかきくけこをくり返す。これをわをんまでやって、半濁音、促音をやり、それから聖書と呼ばれている(らしい)こちらのページにある練習を一通りやった。それが現在の状況である。

http://nicola.sunicom.co.jp/olddoc/nicolaha.html#DCL

 

417文字を打つのにちょうど20分かかった。1分で約20文字というところ。もちろんまだまだ先は長いが、ほとんど運指表を見ずにここまで打てたことが自分にとっては大きい。

ポメラDM200を衝動買いにはしたくない

久しぶりにポメラ DM100を引っ張り出してきた。きっかけとしては、最近記事を執筆する機会が増えてきたので、ポメラの存在を思い出したというわけである。

 

普段はiPadMacBookを持ち歩いているし、それで事足りるのだが、ストイックにテキストだけを打つというポメラの潔さというか、逃げ場のなさが恋しくなったのである。

 

検索してみるとポメラの新機種が去年(2016年)に出ており、気になってしまう。DM200。いくつかレビューを見た限りだと私にとってのメリット・デメリットは以下の通り。


■メリット
・日本語変換が賢くなった
MaciPhoneのメモと同期する
・キーボードが打ちやすくなった


■デメリット
・やや重くなった(580グラムというのはいかばかりか)
・起動がやや遅くなった(1秒→4秒くらいらしい)
・いかんせん値段が高い。いつもながら強気


ほかにもいろいろ機能が追加されたが、そこは私にとってはそれほど重要ではない。

 

こうしてみると重いこととお値段がやはり高いということが一番の問題のようだ。重さについてはその分キーボードの打ちやすさを優先したとのことなので仕方ないのかもしれない。


ポメラが気になるもう1つの理由は親指シフト向きだということ。何度もチャレンジして挫折している親指シフトだが、DM200はさらに親指シフトに向いたつくりになっているらしいので、これはちょっと気になる。


とりあえずビックカメラあたりで実機を触ってみて、よく考えたいと思う。

 

 

そして、次の日。

 
ポメラDM200を衝動買い。まさに衝動買い。衝動買いと呼ぶには金額が高い。


ビックカメラに実物を見に行って、一番気になっていた重さを確かめた。たしかにDM100に比べたら重い。やや重いけど許容範囲。


それよりも下部の出っ張りがなくなって裏側もフラットになったのが好印象。DM100は乾電池のところが出っ張っていて、それはそれで味があったのだけど、DM200のフラット感、畳んだときのカタチは気に入った。


ビックカメラで交渉してみたところ、税込39000円台のところが税込36500円+ポイント10%に落ち着いた。値引きは正直期待してなかったが、言ってみるものだ。


購入してすぐその足で、近くの立ち食いそば屋へ。立ち食いとはいえ座れる席もあるので、そこでポメラを開封。ちょっとはしたないが我慢できない。


起動時間はまったく気にならないレベル。打ちやすさも問題ない。


駅前の立ち食いそば屋でカレー食べながら打ってみるが、こんな場所でも気軽に打てるというのはドヤ顔MacBookではなかなかできない芸当である。


細かいところで言うと、カーソル移動が速いのが良い。これは大事なポイントだ。


キー設定で、CtrlとCaps Lockの入れ替えと、「前候補変換」と「無変換」を「半角/全角」に替え、いま使っているMacbookと同じ配置にした。


ところで、今回の特徴である「ポメラSync」の同期ではいくぶん手間取った。


WifiにつないでGmailのパスワードを入れたら、「アカウント接続先が見つかりませんでした」と出て、何度やってもつながらない。Wifiの接続先を変えたり、Googleアカウントの2段階認証をオフにしたりしてもうまくいかない。


いろいろと調べた結果、やはりGmailのセキュリティ設定の問題だと判明。2段階認証を再度設定し(ON)、アプリパスワードというものを発行し、それをポメラGmailログインのパスワード欄に入れる。これで解決した。


この記事に助けられました。感謝します。
http://www.ipodstyle.jp/feature/pomerasync/

 

ポメラってこんなに高いのに、それでも根強いファンがいるのが不思議。かくいう自分も結局DM100に続いてDM200も買ってしまったのだが。これを買うまでに記事やブログ、Amazonや価格のレビューをいろいろ見たけど、そんなに悪いことを言う人がいないというか、おおむね好意的だった。まあそういう人がレビューを書く傾向にあるのかもしれないが、それにしても熱いファンが多い感じはする。


これを買う人って、安くないだけに「買うからにはたくさん文章書くぞー(仕事するぞ、お金稼ぐぞ)、それを考えたら安い投資だ」と自分に言い聞かせている気がする。資格取得の教材を買うときみたいな。かくいう自分もそうであるが。


まあとりあえず、投資しただけの元は取るべくこれから文章を書き綴っていこうと思う。仕事のアポで、早速議事録メモにも使った。すぐに起動できるのと、この小ささ(というか高さが出ないこと)が、メモを億劫がらせない秘訣なのだと思う。とにかく、すぐに書くことを習慣づけたい。

 

手書きノートをiPad&Apple Pencilに集約させた

ノート好きにありがちな情報の散逸

紙のノートブックが好きで、お店で見たことのないもの、かわいいものがあるとつい買ってしまうことが多く、気がつくとノートだらけになっている。そんなわけでいろんなノートを使う結果、「あれはどこに書いたっけ?」ということによくなる。

 

「ノートは1冊に集約させろ」という教えがあり、そんな本もいつか流行ったがあれは個人的には正しいと思う。自分もなるべく1冊に集約させるよう心がけてはいて、実際それができている時期はわりとうまくいっていた。そのためにもモレスキンはじめちょっといいノートやノートカバーを買ったりしてなるべく1冊に集約させるようにはしているが、それでもつい目移りしてしまったり、肝心のノートを持ち歩いていなかったりで、結局情報の散逸は引き続いていた。

 

iPadに集約させてみてはどうだろう

あるときiPadApple Pencilに手書きノートを集約させることを思いついた。正確には思いついたというよりは、以前すでに何度か試していながらいつしかやめてしまったことを再度復活させてみようと思い立った。

 

手書きノートをiPadに集約させるうえでどのアプリを使うか。たいていの情報はEvernoteに集約させているので、手書きもまずはEvernoteを使っていたのだが、どうも書き心地が気に入らない。Apple標準のメモも使い勝手が合わない。それでいくつかのノートアプリを試した結果、GoodNotesを使うことにした。

 

GoodNotesのよいところ・改善してほしいところ

このアプリは書き心地がわりと好みということもあるが、自分が書いた内容を丸でぐるっと囲んでエリア選択し、それを移動させたりサイズ変更したりできるのがけっこう便利で重宝している。これは紙ではできない良さである。ノートに書いていると、バランスを見誤って右端のスペースが足りなくなり、1行でなんとか収めようと文字が小さくなったり、止むを得ずちょっとだけ改行したりすることが多いのだが、これならレイアウト位置そのものを移動して調整することが容易なのだ。

 

やや不便なのは、ノートの追加がさくっとできないこと。まずは「ノートブック」というカテゴリを作成し、その中にノートをつくっていく仕様になっており、その点ではEvernoteの「ノートブック」と「ノート」の関係に近い。ただEvernoteの場合、わりとさくっとノートをつくって書き、ノートブックへのひもづけを後から変えることがやりやすいのに対し、このGoodNotesの場合、まずはノートブックを選んでそこにノートを追加しないといけないので、すぐにメモを取りたい時などは不便に感じる。

 

もう1つ、自動的にクラウドに同期すると便利なのだが、いちいち「書き出し」をして保存しなくてはならない。iCloudDropboxに保存できるのは便利だが、自動的にクラウドにバックアップをとってくれると助かるのになと思う。

(私が仕様を知らないだけかもしれないので、もし違ってたらご指摘ください)

 

手書きをiPadに集約させたことのメリット

なんといってもノートの散逸が防げるのが一番のメリットである。iPadを常に携帯しているので「あれどこに書いたっけ?」「あのノート、今持ってない!」といったことがほぼなくなった。

 

Evernoteに書いているテキストでのメモと違って、手書きだと物事の関係性をビジュアルで表現しやすく記憶に残りやすいので、ノートを見返すと「ああ、これはこうだった」とすぐに思い出すことができる。

 

紙と比較したメリットとしては、すぐにデータ化(PDF化)して共有できることが大きい。メモした内容をPDF化してミーティング終了後にすぐメールで送ることも簡単にできる。紙だと写真に撮るかスキャンしないといけないので、これは意外と便利である。

 

また、ちょっとした企画書やウェブサイトのラフなどをパワポを使わずに手書きでさくっと共有したり、議論したりすることができるようになった。これは会社の規模や体制にもよると思うので誰もが真似できるわけではないと思うが、社内での共有や議論であれば手書きで十分なので、無駄なパワポ作成に割く時間をほかに回せるようになったのは個人的にはかなり大きい。

 

iPadで気になるところ

とはいえ紙に書くのが好きなので、iPadの画面にカツカツとApple Pencilで書く感触にはまだ違和感が残る。また打ち合わせ時にiPadにペンで書いているとちょっと気取った奴だと思われるのではないかということが、わりと気にはなる。

 

最大のリスクはバッテリーであろう。iPadの充電が切れたら終わりというのは紙とは違う恐怖ではある。また、Apple Pencilはバッテリーが切れてもiPadに刺せば数分で充電できるので便利だが、いざというときに充電が切れているとすぐに書けないので、まめに充電することが大切である。

 

まあなんにせよ、iPadに集約させてみて、今のところ思った以上にしっくりきているのでこれはまだ続くだろうと思う。あとは、GoodNotesを超えるアプリが出てくること(あるいは機能が向上すること)を願うばかりだ。

 

ちなみに紙のノート好きは変わっていないので、おもしろいノートやかわいいノートがあるとつい買ってしまう癖は一向に治る気配がない。

 

 

ホッピーにはキンミヤ

 

ホッピーという飲み物は基本的に焼酎で割って飲む。焼酎ならなんでもいいというわけではなく、キンミヤ(金宮)焼酎が一番良いとなかば公式に決まっているし、実際ホッピーとキンミヤとの相性はすてきだ。

 

なので、ホッピーがある飲み屋に行くとしても、そこの焼酎がキンミヤかどうかには気を配る。入る前に「焼酎はキンミヤですか?」と尋ね、そうじゃないときには別の店を探すこともある。

 

ただしキンミヤじゃないお店でも、ホッピーに合う焼酎を使っているお店もある。これは飲んでみないとわからない。あまりクセが強くないほうがホッピーには合うと思う。

 

通常はキンミヤじゃないが、プラス料金でキンミヤ焼酎に変えることができるお店も時々あるので、とにかくお店の人に聞いてみるのがよいだろう。

くらしとすまいの間

暮らし、住まい、建築、家、住宅」に関わる仕事をしてきた。それらをメインで実践するというよりは、実践者の傍らにいて、その様子や良さをなるべく多くの人に伝えようとする仕事をしてきた。それゆえ、私の立ち位置は領域の合間にあって、異なる分野や関心をそれとなくつなぎ合わせることに1つの存在意義があると考えている。

 

はじめに「暮らし、住まい、建築、家、住宅」という表現をしたが、これらを統合するような言葉があるといいなとずっと思っている。暮らしと住まい、家をゆるやかにつなぐ言葉。英語でいうと、homeが比較的それに近いのかもしれない。

 

暮らしと住まいをつなぐ言葉。ハードであり、ソフトであるような言葉。そんな言葉を見つけ出したいと思う。

 

 

コンテンツマーケティングに関する議論でどうしても話がかみ合わない人がいるのはなぜか

紙とウェブを含め、編集・コンテンツに関する仕事を十数年前やってきて、いまもいわゆるウェブの編集みたいなことをやっていますが、長い間ずっと違和感を抱いていることがありました。

 

コンテンツ、特に「コンテンツマーケティング」的な文脈においてよく感じる違和感。自社のコンテンツマーケをどうするか?みたいな議論をしていると、どうも大きく分けて2つのタイプの人間がいるような気がしてなりません。そしてその1つに個人的には大いなる違和感を覚えていました。

 

それはひとことで言うと、コンテンツが目的なのか手段なのかの考え方の違いに起因すると感じています。私は主に前者の立場を取るので、それゆえ後者の考えを持つ人と話をしているとどこかに埋められない溝を感じたまま終わることが多いのです。

 

両者の違いを、飲食店にたとえてみるとわかりやすいかもしれません。ある人は、ある時誰かにごちそうになったお寿司のあまりのおいしさに衝撃を受け、自分もとにかくおいしいお寿司を提供できるようになりたいと研究・修行して、自分のお店を出せるようになったとします。この人にとっておいしいお寿司をつくってお客さまに提供すること自体が大きな目的です。もちろん商売としてやっていくため儲けを出すことも必要ですし、より多くの人にこのおいしさを伝えるための業務拡大なんかもあるかもしれません。

 

もう一方の人は、飲食業でビジネスを成功させたいと思っており、地道なマーケティング調査をもとに、あるエリアにお寿司屋を出すことにしました。エリア近郊の調査もして、他店にない差別化ポイントもうまくつくることができ、お店は繁盛するようになりました。

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前者の人にとっては、どうしてもお寿司じゃなくてはならない個人的な理由があり、ラーメン屋のほうが儲かるよ、利益率が高いよと言われたとしてもそれはきっと違うわけです。後者の人にとってもお寿司は大事なものであり、日々おいしさを追究していると思います。でも、この両者には大きな溝があると思います。前者の人にとってはおいしいお寿司を提供すること自体が目的であり、後者の人にとってお寿司はビジネスを成功させるための手段の一形態です。もちろん後者でも、いつの間にかお寿司の魅力にとりつかれて前者になってしまう方もいると思いますが。

 

話を単純化するため大きく2つのタイプに分けましたが、実際はこんなにきれいに分かれるわけではなく、一人の人間の中にこれらの要素が混ざり合っていることもあると思います。私の中にもこの2つの考えが共存しており、時に応じてその配分が変わったりもします。

 

この2つのタイプについて、どちらがいい・悪いと言いたいわけではありません。ただ、こういう2つの立ち位置があるということをあらかじめ認識しているだけで、コンテンツにおける日常的な議論がすっきりすることがあるかもしれないと言いたいのです。

 

コンテンツ、とりわけ「コンテンツマーケ」の議論をしているなかで、どうも根本的に話が通じない相手がいるときに、この目的と手段との立ち位置の差を意識することで、個人的には多くの部分がクリアになりました。

 

寿司そのものが目的の人に、粉ものの方が利益率が高いと言ってもあまり意味がないのです。それどころか、時には侮辱と取られてしまうことも覚悟しなければなりません。

 

コンテンツを手段と考えている人に、そのコンテンツを作るためにどれだけの手間ひまや想いが込められているかを滔々と語ってもあまり響かず、むしろ「費用対効果が悪いんじゃない?」とさえ言われてしまうのはそういうわけなのです。

 

くり返しますが、どちらかが良いとか悪いとかではありません。どちらも必要な要素です。どんなにおいしいお寿司をつくっていても、お客がまったく入らないお店では意味がありません。大事なことはこれら2つの、ある種相容れない立ち位置の違いを認識すること。そのうえで、両者の共存のあり方を日頃から模索することなのだと思います。

 

 

未完のユリシーズ

翻訳家の柳瀬尚紀氏が昨年(2016年)亡くなっていたことのショックがまだじんわりと残っている。

 

そもそも今年の正月に親戚の家へ行く途中のバスを待つ間にふらりと立ち寄った本屋で河出書房の分厚い『ユリシーズ』が平積みされていたからとうとう出たのかと即座に購入したのだが、それを読んで、遅まきながら柳瀬尚紀がすでに亡くなっていたことを知り、微かな虚無感に苛まれた。

 

ユリシーズの翻訳がとうとう未完のままだったこと、柳瀬尚紀が亡くなったことを半年あまりも知らなかったことへのショックが大きかった。20年ほど前、大学生のころに彼が翻訳するユリシーズを読み、これが完結する日を心待ちにしていた。時間はかかるだろうが、『フィネガンズウェイク』を完訳した彼のことだから、いずれユリシーズも完成させてくれるだろうと信じていた。特に第14挿話「太陽神の牛」をどういう文体で訳すのか、丸谷才一訳とどう違うのかを読むのが楽しみだった。

 

このことは私に、人はいつか死ぬということ、大切なことは死ぬまでに終わらせなければならないという、極めて当たり前のことを教えてくれた。
 

無い物ねだりをしても仕方がないので、彼が書いたジョイスに関する本を読み、彼が遺したユリシーズをゆっくりと読み進めている。少しずつ氷に溶けていくウイスキーをなめるように。

 

ユリシーズ1-12

ユリシーズ1-12