基礎体温

思索の試作。嗜好の思考。

何度目かのエルメス病

ブランド好きじゃないけどエルメスは好きなんだよね、といったいいわけなどどうでもいいくらいエルメスは好きなのだ。何が好きかって革の質感。見た目、触感がその辺の革と違う。長年使ってもへたらない。値段はバカみたいに高いけど、このクオリティーや職人さんへのリスペクトにどれだけ価値を感じるかという極めて主観的な問題だから、あとは本人が納得していれば誰も文句はないはずである。

そもそもエルメスに興味を持ったきっかけは、『鞄が欲しい』(エイ文庫)という本だった。ある万年筆画家の偏執狂なまでのカバンへの愛があふれるこの本を何度も読み返したものだが、そのなかに筆者がエルメスのカバンのすごさに圧倒され、オータクロアを手に入れるエピソードが書いてあり、その記憶が私の中にもいつしかしみ込んでいた。

初めて買ったエルメスは手帳。エルメス銀座でドキドキしながら買った。アジァンダGM(9.5×13.5cm)のオレンジを買うことはあらかじめ決めていたが、革が何種類かあって迷った。こんなちいさな手帳カバーとはいえ、なんせ5万円以上の出費である、後悔はしたくない。ヴォー・エプソンは避け、柔らかめの2種類までは絞り込んだがどちらも甲乙付けがたい。しばし迷い道に落ち込んでいたが、店員のお姉さんの「こっちの方が発色がよりきれいですね」というひとことが決め手となり、シェーブルを選んだ。

それ以来、もう十数年使っているが未だに革のハリは素晴らしく、オレンジ色も鮮やかなままである。この時から、私にとってエルメスは特別な存在となった。ちなみにその時に対応してくれた店員さんは、お高くとまることなく実に気さくに応対してくれた。あまりに普通っぽいのでこっちが戸惑ったくらいだ。しかも、購入した手帳を手に、エレベーターでエルメスビルの一階に降りた私を階段で追いかけてきて、よかったらどうぞとネクタイなどのカタログを持ってきてくれた。その姿が、お弁当を忘れて家を出た弟を駅まで追いかけてきた姉のようで、商売っ気がなく非常に好感が持てた。もう会うこともないし、顔も覚えてはいないが、彼女の存在が私のエルメスに対する好感をかたちづくったのは間違いないのでお礼を言いたいくらいだ。

それ以来、金もないくせにこつこつ貯めては少しずつエルメスを買っている。これまで買ったのは手帳カバー(PM、ヴィジョン)、カバン(コロラド、サック ドーヴィル、サック ア デペッシュ)、ノート(ユリース)、財布(オーサカ、ベアン)、デッキシューズなど。小物も入れたらもう少しあるかもしれない。そしてまだ欲しいものがいくつかある。病気といえば病気かもしれないが、バイク好きがヴィンテージバイクを買ったり、ギター好きがヴィンテージギターを買うのと何が違うのか、結局は趣味の問題に過ぎないと若干開き直っている。直近ではApple Watchのバンドに関して、今使っているものにも飽きたので、エルメスに代えるのはどうかと画策中である。